2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

1973年の猪飼護

彼の名が猪飼護だと知った今日、その工房を常滑に訪ねた。 彼の黒い器をずいぶん前から知っていたが、取引きする機会が生じなければことさら名を知ろうとしてこなかった。私はコレクターだと自分を考えたことはない。雨戸を閉めた石垣のギャラリーのそばに、…

1999年のクマ、2013年のクマ。

とどろき自然公園のガジュマルの緑蔭で

島の消防隊は火だけでなく波の相手もする、彼女が赤ちゃんのハンモックを編んでいるあいだ、その子をハンモックにかわって包んでくれていたのは、カビラの消防署に勤務する隊員だった。 救命救急の現場でも携えるロープの扱いが衰退していると、何年かのうち…

前日

前日は赤ちゃんのハンモックを、受講のみなさんと完成させた。次回のご案内に使いたい写真が撮れて終わった。 島で最大のプライベートビーチをもつホテルに、屋外用に編み上げてフロントを訪ねた。 さらにすぐそばのカフェに「パナリコレクョン」と、名うっ…

芋もまた起つ

お弁当コンペに紫いもの酢飯を曲げわっぱに詰めて、来たる「ひるね協会ツアー」のサンプルにした。 小芋をコロッと蒸かして深底の杉柾の板の弁当箱に、充満した飯の中に埋めて隠すか紫色の鯨の背中のような風情……。 言う通りのイメージは叶わなかったが、紫…

朝八時、やっと涼しくなった路上遭難

離島桟橋ライブカメラ

俯角はこの五階くらいで、ちょうどよい共感を受けるのではないか。 左に振って与那国に通うフェリーが戻って、そこで夜を明かさなかったか。 あるいは右に目をやって今日は、台湾からクルーズ船の来る日ではなかったか。 Cの形に囲まれた港のトバ口で、すぐ…

チュールのハンモック

近所のバレー団の子の寸法を一人づつ測って、衣装を作っていたことがあった。名前と寸法を言われるままなメモする助手以外に、身の置きどころもなかった。 いつもは彼女こそ僕の助手だったが前職がユアーズという子供服で、事務所には工業用ミシンが二台あっ…

隣のエッセー

デザインがなにか人間の幸福と関係があるような高度成長期に幻想を抱いて、学生服を着ていたころに登場した大庭みな子・大城立裕・大江健三郎などといった名前は、いつまでも懐かしい。ハンモックに読書という連想をして、気にしてきた絵本を何冊か揃えた、…

新世紀漂流/酒場にて、小川茂

世紀末のある夏のこと 浜辺散策中 クマ漂着 桟橋にて……と題したカレンダーを探し出した。新世紀の始まった2001年の私のギャラリー、ライクエアで配ったもの。 前年つまり最世紀末の夏の終わりのいちにち、大野海岸(知多半島/愛知県)で打ち上げられたクマと、…

熱いお茶

501は研修室だからどこぞのおじさんの生活感を排す……自炊をしないよい理由が見つかった、せめてにと色違いのポットを二つ買って、熱いお茶冷たいお茶を持ってギャラリーに通うことにした。 1・5リットルを2つ。どちらも緑茶。茶殻が植木鉢で山盛り。乾燥させ…

オキナワ県紙とその地方面のタイムラグ、海菖蒲開花の報

記事は先月24日、掲載は7月2日。現地通信は奥沢修一。

ケミカルアンカー

外壁二面側は外までぶち抜けているが、対面は中ほどの天井梁に取り付けフックをねじ込んだ。直径12ミリの孔を深さ15センチあけて、中指の1・5倍もある瞬間接着剤のガラスアンプルを詰めると、穴はほぼ充たされる。ここにアタマから10ミリ棒トーをた…

ピンクの飛行機

また用事が出来てしまった。ビンクの飛行機が大阪に飛んでいるので、それで帰ります。おうちはどこですか?どこへ帰ってもいいような、帰るうちはどこにもないような。

甲虫

美しい甲虫が階段の縁(へり)で、スロープを探していた。手を貸そうか少し迷っていると、彼は飛んで行けるのだった。

丸い実

見る角度にもよって突き出た方から見定めると、その実は花の寄り集まった段階で均整のとれた球体をしている。この木がそうかなと夜にふたたび通りかかると、果たして木は寝ていた。草木が作り出す果実は次世代に送られた手紙であるので、手紙を守る封筒はも…