2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
写真は縦。小笠原に三往復して夕べ戻ると、ふと本宅屋敷跡の柿の木が気になった。思いでの痕跡はほぼ、ない。六〇〇坪の中央に幅12メートルの道をとおして煉瓦を敷きつめて、その両側に宅地を五つづつ造成した。 煉瓦の公開空地といったスペースの取りつきを…
小笠原に三たび往復して、最後は晴海に降りて自宅に戻った。 明日は石垣だか、まず田の水を見に行って次は柿の木。 よもや移植した柿の木に、新芽は出てはいまいか。あきらめて周囲五角に五本も柿の木苗を植えたほどだったか、なんと移植した親が芽吹いてい…
麻、葛、樹皮やつる、くさの繊維。
紙コップで紅茶のむ。
ナチスのキッチンです 水面下の鰯の葬式を アウシュビッツと言えばしまいが 三越日本橋本店リビングJバイヤー遠藤由香里さん 能作の風鈴 水うちわ 家田紙工岐阜 がんぴ紙天然ニス
日没前、船は帰路について、船窓よりベストショット。 救命艇の舵とスクリューの隙間に沈む日。
伊豆の十何年も遊ばせていた土地を、キャンプ場にしたとおっしゃる不動産会社社長が、ハンモックを編みにデッキにいらっしゃった。キャンプ場の名前を聞いておいた。もう三十年も前、国民休暇村で「ハンモック&ひるね村」を開いたことがある。 ボート池のほ…
今日は何の日をご存知だろうか? 早朝のNHK、ほんの短い帯のラジオ番組。 今日は何の日かご存知だろうか? 小笠原が返還された日だと、そのラジオが今朝言った。 私のハンモックのスタジオのある沖縄を占領したのはアメリカ軍だったが、本土に進駐したのは連…
モニターは母島を回って、父島に戻って停泊していることを示している。 午前5時、カーテンを開けるともう隣の小島の横っ腹に日が当たっている。 今夜いよいよ晴海にむけて、最後の帰路につく。 道中、明日にハンモックも最後の教室が予定されていて、その仕…
イベントスタッフにハンモックなどと自己紹介してサカナにされ、そのたびに一度乗りに来ての約束を一通り果たしたのちの、用済みの空荷のシルエット。もう少し解像度のよいカメラに納めた、さすがタレントたちなんかで使えるカットになってるだろう。
とんがり岩は99メートル、デッキに出て久しぶりに水平に見えるモノを見た……、なんて感想。 退役した船客は、そんな起伏なき感想。感染するか?
小笠原に向けて三度目の往路。荷は軽くして、帰りの教室一回を残すだけとなって船は夜の航海を続けている、近く日付の変わる闇の海。明朝…八時、島につくことになっている。 湾内のブイに係留して、漁船を並列に浮橋のように横着けして、分乗上陸。これも三…
白んでくると、ライフポートのスクリューの向こうに半島が見える。これを越えれば、相模湾。催事スタッフだけでも、これだけ乗っている。
伊良湖岬と神島をすり抜けたのは、まだま明るかった。お客はいったんすべて下船した、クルーズのスタッフは脱力した、オーガナイスルームで日が変わるまで中打ち上げ(なんてコトバ)、相部屋から解放された部屋で気がつくと、まだ午前3時51分。 船は駿河湾を…
定置四つ手網とよんでいいだろう。 船内を徘徊していると、こんな漁猟風景に目がとまった。漁網をちゃんと編んだことはなかったが、これを一つ作ってみましょう。 水辺を所有するまでは、ミニチュアだがやむを得ない。
台風を追い越すのかやり過ごすのか、航跡からは見極め難い。嘔吐は稀ではなかったが、教室はどうにか終えて荷を軽くして船は港に入りつつある。意外に小笠原上陸時は空はウソのようで、通りかかりの被写体で(!)よい写真もものすることができた。
答志島の 伊勢湾がわにある 浜に漂着。
林正道さん、名古屋局から放送。肺癌でプロダイバーを廃業して、泳ぐロボットを作って施設をまわる。フロートをつけた車イスも。いつまでと問われて、ずっといつまでと答えた。
鉄塔にふられた通し番号を遡って、たどる少年の夏休みは長野まゆみだったか。 車窓よりボケた鉄塔をみて、目を凝らした。二重に見えたのは、よく見れば 本物が二重にかさなっているのだった。 津島の道すがら、あま市で。
土錘 (どすい) 弥生時代後期から古墳時代初頭の漁具。 三重大(津市)構内の鬼が塩屋遺跡で出土。 電子楽器おんどまるとの フランス、市橋若菜、岐阜県
もうこの国はいいんじゃないかとおもうが、梅原健はいまもって「運命を愛して不可能とおもわれたことを成し遂げて 」さらに、かめじろうの行く末にお墨付きを与える。この話の枕は、ニーチェの運命愛。
ちょっと胸がつかえて、ムカムカするんだけどヘビイチゴだから??
notes評、読売日曜書評。
舗道をはがせば下は砂浜。
デジタルによって、私たちは完全な映画表現を獲得てきます……と。 通しタイトルは「時代の証言者」だと。