2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

六ミリロープを靴に使わない。

六ミリロープじゃ、いつまでたっても痛い。綿より柔軟性があるクレモナロープでも、六ミリはやり過ぎだとあきらめる。何度も洗い晒したが踵が遊ばない程度に緩く締めても、甲のあたりがいつまでも痛い。使役用済み余程の古ロープでもなくては、六ミリをスニ…

作られた苗でない「ヤシの赤ちゃん」

伊野田のアコウの森を森と呼ぶには気がひける――のだが、やがて名にふさわしいものになる。ガジュマルの仲間のアコウは、もともと一本二本と数えきれない素性の木だ。苗で植えたときは一〇本だったか十二本だったかはっきりと数えられただろうが癒着結合の末…

柿渋

柿渋の綿ロープ三ツよりを、3ミリ・4ミリ・5ミリ・6ミリと揃えた。トリッペンは、これ一手にする。黒や濃紺に染めた革靴にも結んできたが、このいちばん普通な革靴に柿渋がやっぱりしっくりしている。ベルリンにこれらのロープを持参して半月くらいで六〇足…

叶う恋人結び

こーなるとは思ってきたが、結ぶのははじめて。叶う恋人結び。 叶う結びは結び目の表裏が「口」と「十」になっていて、口へんに十で叶うという字になる。これには「ルーシー」についで、二つ目のオリジナル・ブランド名がつく日がくるかもしれない。

縄筋五〇〇におよぶ

みどり5足、あお3足、濃いみどり4足、黄7足、くろ3足、あか2足で合計は24足。第三集はトリッペンになる。紐の染織は柿渋・藍・紅露・埴など落ち着いたアースカラーばかりだから、ポップな頁も欲しい‥‥。なんて思ってたら合成皮革のチープで愛らしい靴を、ま…

ヨリが戻る‥‥とは? 《下》

吉田戦車(なんて名前ですか。ふつうのヒトに言うたびに説明が必要で迷惑)が、黒電話の受話器につながりがコイル状にヨレてしまうのを、座敷わらしのような不測の者の仕業ではないか?とマンガに描いている。エライ先生のお説があったりするが、異論がある。…

ヨリが戻る‥‥とは? 《上》

ヨリが戻る、とはヨリがなくなってしまうことのように受け取られることもあるがさにあらず。写真は鳩目穴をくぐらせることで、こんなネジりん棒ができてしまったから、そのままアイ・キャッチのようにあしらっあままにした。

ハンモック40年 展

お絵かき教室23年の間のハンモックは、夏が来ると‥‥という感じだった。TV塔のぐるりに大規模に人工の川を配した100メートル道路で区分けされた名古屋の都心は、かつて全国知事会のドン・クワハラミキネ登壇の第一歩だ。スクラップ&ビルドの前半はボーイングB…

爼(マナイタ)

新川の釣具屋は島でいちばん自作比が高いので、通りすがりも楽しい。その日は親爺が表にいたから、思わず聞いてやった。「なに切ってこうなる?」。えさだわ。「どんだけ切ったらこうなる?」。一〇年余るな。ここまでくると、平らにならすのが惜しいだろう…

今日からわたしは‥‥

腰痛ベルトが欠かせない、バナナの株分けで電柱埋めるかのごとき穴うがつときなぞとくに。紐靴の脱ぎ履きが、難儀。靴屋打ち止めを控えて今日からわたしは、ギャラリーでゴムぞうりを履くをやめます。 プレーンでしかも使いよい靴べらをかねて探していたが、…

お茶汲み

お茶汲みの積年の恨みの痕跡が、ほらここに刻みつけられている――と、まともにお茶も淹れなれない今時のOLがオチをつけている。秋川りすの「OL 進化論」。最新作。彼女らが自然淘汰の末とは知るが、進化論と呼んでいいかは別だろう。急須・土瓶・湯呑み・汲み…

りとうんさんばし便り「ポート・リ・ポート」

表題を予告したが、果たせない。ポートリポートじゃなく、「いしにゃき」新聞でもいい。つまりどうでもいい。……思ってる間に週2のはずのクルーズ船が、昨日も今日も続いて入るようになった。夕べは盆踊り大会みたいな満艦飾で見送ったのに、今朝の九時前の…

つま先から締める

紐を緩めて履いたら、つま先からほどよく締めて結ぶ――ひも靴を履きはじめた子に、こう教えるだろう。その手間の掛かり方が子どもに、すこし大人になったような気持ちを催させた。 大げさな言い方だと思われるだろうが、こうした生活技術伝承の機会減少こそ文…

袋で縛る

レジ袋は3円‥‥なんてことのコスト計算は市場原理で決まってそうに思えるが、果たしてそれは見かけだけのことだ。土中深い堆積物がアラブでアブラなる時間を、いくらに見積もったというのか?袋、要りません。そう言っても薄いビニールの小袋に、一つづつ入れ…

この四足 ?

サイズは24センチから24センチくらいの寸法の靴が、太めの三つ撚りロープを靴紐にした場合、存在感を発揮できるのではないか。

六〇拾遺

「 ROKUJYU SYUI 」とでも呼ぶ? 曲がりくねった逡巡はひとつ一つ定着したものに、ひとたびは作品番号を割り振ったものだか、トリッペンの靴はもともと一〇足しか手もとになかったから番号を付与されれば、 たちまち解かれたほそいロープ片にもどった。

愛は辛い

片桐やよいの人形

そのシルエットは深海生物の干物ではなく、片桐やよいの人形だと明るみに出せばわかる。焼きに焼き捨てに捨てて赤テントを始末してきたが、紛れてこの世から葬られなくてよかった。跳ね量り、三升餅つき、などと共に命拾いした、、と言い合っているだろう。

深海ナゾの干物

片桐やよいの異界の住人たちは、ながく行方知れずであった。

くま

ギャラリーライクエアのクマとギャラリーぱなりのクマが、対面する日がきた。ライクエアのクマが陽の目を見るのは15年ぶりくらい、潮風に当たるのは三河湾に漂着して以来だから20年は経っている。こうして東シナ海に吹く風を受ける日がくるとは、ギャラリー…

締める弛める

トリッペンを買い足して、と言っても一〇足に過ぎないが、日独二嬢に行き当たりばったりで二ダースの結びアルバムを綴ってお渡しした。日がたつとその脈絡のなさに、チクチクと後悔の念がわいた。躊躇しつつも二ダースでは止まらず、レンツ氏に言うごとく一…

錫の器 鹿児島市西代 大辻朝日堂

五月あたりに閉める

那覇にて。

松尾に折れる一本東に猫の店がこっちにある、、に誘われてかつての農連市場の広場で再び東に入ると、、、。店の名前はわらかい、頼んだのは生ビールの他には煮付け定食。瀧口冴子の、古木細工の店にも寄った。

タカキタとマツヤマ

高北と松山は、牛馬がひくスキのメーカーの名称。ひくは「牽く」か「曳く」で、スキは「鋤」でなく「犁」や「犂」のどちらかが木製の胴に刻印されていることから判る。この度の陸・海送には積めなかったが、次が最後と決めた次回こそ島に運びたい。しかし台…

リンガーハットにはお絵描きボードが五台もある。

五日

滞在二週間で五日ほど、映画館に通った。駅裏のシネマテークは二度だけだが、大逆事件と小林多喜二のお母さんを観ることができなった。もう一度来るかも。縫いとった手紙が、ポスターになっていた。文字の図象を越えて、一目一目を見てしまう。

なんのこころ?

赤テントを他人手にわたすととたんに足を踏入れ難い思いして、遠くから眺めるだけになるだろう。 彼岸花を畦に移植したものだがその紅い華は遠目にも、よく認められるだろう。この秋にもう一度来る、ということだ。さっぱり片付いたが、小さな包みをよけてお…

助手席は臼

海路の後、鹿児島からの助手席には バナナがこちらに出張るほど満載で来たが、往路の助手席は石臼となった。なにやら縛られ地蔵なほどグルグル巻いて、ようやっと引きずり込んだ相棒。きっと、無口。