2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

さよならトンボ

石亀泰朗 作文化出版局

西表1947

黒島安隆記者母子四人の洞窟

福島泰宏展

芭蕉布と芭蕉紙奥様は紅型で染める沖縄三越で八月二九日まで

ノニ

和名=やえやまあおきノニはインドネシア・ハワイ・ポリネシア、日本では沖縄や八重山の高温多湿の地域に自生し一年中白い花どん実をつける熱帯植物です。見た目は美味しそうでないばかりか、臭い!ノニには果実は゛かりか葉にも根にも、ポリネシアの人々が…

小浜島の子ども獅子

亀川造船所のてんま船みにちゅあ

亀川造船所に

亀川造船所に新しいサバニが持ち込まれている。

島にも夏が往く風

南の島に通うようになって、まだ八月だか二十日も過ぎて夏の終わりの風がわかるようになった。トノシロから坂道をまっすぐ海から遠ざかると、ミスタードーナツ。紆余曲折する夕暮れの散歩だが、直接的に目的地に到着したことははじめてなほどだ。百日草のよ…

あかがわらの家内覧会

8月19日の八重山毎日に石垣小学校西門近くに二十、二十一ですできすぎたが明日。シンクロ設計、玉吉建設。

はらまき

南の島でわたくし……、はらまきしとります。時にはスッポンポンのバドおじさんであります(^^ゞ。手持ちは三つなんです。筒型の枕カバーあるでしょ?今夜はこれでゆるいバドおじさんを試そう。写真報告いるか?

お盆も過ぎたら

えーとスイカメロン座布団何だったかなカネヒデ石垣トノシロでは、業務用テープが使われている。本物もうえにのる果実同様、なまものゆえか。スイカは丸ごと三桁に安定した夏の終わりである。

うなぢゅら?

船底前部に安定板をつけてあるやる気モードのサバニ仲田さん09031977490

スクリューシャフトのパイプ

ニそう目もう岡に揚げられて久しい

勝丸

富本ヒデさん衛さん

げっとうの敷物

昭和57年

展示スペースの外、トイレに続く廊下にも瀬長島の写真。

1950年のせながしま

鳥の目と題する企画展が那覇市歴史博物館で。キーストンスタジオが撮った上空10000 メートルの空撮に瀬長島がすでに1950年には、滑走路からそして豊見城からの二本の直線道路で地続きになっていることがわかる。

島の戦後の変遷

豊見城市の儀保光明さんが、せながしまの戦後の変遷を記している。昭和25年ごろまでは浜の岩をめぐる信仰も穏やかだったが、接収されて掘り割りの弾薬庫、兵舎が並んだ。海中道路は軍事的必要から生まれたものだったのだろう。二重フェンスの北西側にはヤ…

そーか籠

南大東島でゲットウはそーか。大東島のそーかは二メートル以上。ピットイン新城はスタジオ名か。

中原

あだんのつばひろ帽子

伊江島の三人の伝承者中原美代ほか

諸見里利恵のゲットウの手提げ

平良竜次シネマラボ突貫小僧代表

1953年の共通語を話すひめゆりの塔第一作がよいと。

髪と品

スイカの『座布団』ではない。天使のリングのごときものである、かねひで壷川店のポップにはそうした但し書きが掲げられているお盆間近だ。スイカを据えるために用いるものでなくこの藁の輪っかは頭上に置いて、運びたい物を載せる緩衝安定リングだった。とは

三十歳の記念樹

帆かけサバニ(株ヘルムス)

津軽良介さんイバルマまでの久松五勇士の130キロの航海を帆走で実証した話をきいた報告。

ガンシナー

スイカやメロンをお供えするとき、これをその座布団にせよという。旧盆を迎える準備の品のひとつとして、スーパーに山積みして売られている。藁のようだが陰干しして間もなく、青々としている。粳米ではなくそのボリュームや葉の幅からして、糯米のような感…

琉球新報2011*8*7

旧満州開拓団の慰霊の石碑撤去北京共同六日付けの中国夕刊紙『法政晩報』は、黒竜省方正県で、日本の旧満州開拓団員の氏名を刻んだ慰霊の石碑が、同日麻までに取り壊され撤去されたと報じた。石碑に対しては中国国内で強い反発が出ており、同紙によると、方…

ゲットウの葉で包む

ぶながや弁当大宜味まるごとツーリズム協会0980441960同村農産漁村生活研究会山城初子会長事務局新城喜代美

見立てる山根頼子石垣の図書館司

見えないものを見、聞こえないものを聞く見立て