島の戦後の変遷

豊見城市儀保光明さんが、せながしまの戦後の変遷を記している。
昭和25年ごろまでは浜の岩をめぐる信仰も穏やかだったが、接収されて掘り割りの弾薬庫、兵舎が並んだ。
海中道路は軍事的必要から生まれたものだったのだろう。
二重フェンスの北西側にはヤギが放牧。
返還されたのは昭和50年代のことだという。