「花は誰を迎える・2」

表題にたどりつけなかった。
遠出して戻るときは、ひとしお遮断機の許の花に目をやる。五〇年も前のことである。この駅で日々乗り降りする人のなかには、同じ感慨をもつ者がないとは言えない。踏切りを渡ると今ではしもた屋となった薬屋があって、幼かった子の遭難のよすがである。この永いながい年月を経ても、花は日々あたらしい。死んだ子の歳はこうして、生きているかぎり数え続けられる。
自分が生まれ育った土地への挨拶は、私の場合はこのように交わされる。言葉を失うことばとも言えないもので、名状しがたい生地に俯くほかはない。

この項、ここまで。