墓地の竹

けいじろう、しげたろう、いさむ、続いた私の系譜はこの後にしげる、そうたとつながってはいかなかった。命日というものに特別の感想をもっていないが、墓参りに来ると言うので鎌と鋸を手に先回りしておいた。七月ニ〇日のこと。飛行場と壁を接したそこを、墓地などと呼んだことはない。墓ド。
区画内の樒(しきみ)をさっぱりと枝打ちしたら、この墓地に釣竿にする竹を取りに来た幼時を思い出した。当家の墓地区画内に幼い私には、覚えのある死者はひとつもないころのことである。塀の中には占領軍の兵士の姿が、多くあった。
アカモツと言っていた婚姻色をていしたハヤを釣りたくて、握るあたりが面白く乱れた節の竹の自生するこの墓地に少年たちはひとりでくるのである。ほぼ五〇年前の我々の公然のヒミツだった。

今もその特徴的な竹は変わらず自生しているが、その生え際に目を遣る者はおるまい。