それを「寿POP」と名付けた頃

近くのコンビニの書籍コーナーに、けらえいこの選集が一冊あったな。暮れの二十日あたりのことだ。まだあった。おかしなタマゴ・ボディーに手が伸びなかった描き手だったが、改める。
その店に入ると、自立型の迎春パネルがフロアにあった。折り鶴と造花の椿、鶴は現場で折らせたのだろう。昨今のコンビニ世代の何人に一人が、鶴が折れるだろう。
筆文字も各店の手書きのように見えるが、これは違った。中ほどに横の折り線があった。これを書かせる和気あいあいとした暮れのコンビニを、想像してみる。その日当は、コストに見合わないだろうか? 俺ならやらせる。なんて者にコンビニ業なぞ、始められるわけない。

三が日そろそろ空いたか、熊手を受けに「おちょぼ稲荷」に、ナマズを食いに出かけた(動機・目的=分裂)。渋滞にめげる辺りで、おもいがけないものに再開した。毎年民芸土産の干支をB2サイズにシルクスクリーンで刷って、全国販売してきた。最後にしたのはウサギで、廃業して来年で干支ひと周りしたことになる。
十二支揃えた店が、幕ノ内がおわると外してしまっておいて、毎年つかいまわしているところに出くわすことがあるが、ここは犬年のものだけを毎年掲げているのだ。
とっさに何年のことだったか分からないが、寿POPというブランドだった。オフ刷りの鷹ポップは出回る前のことだった。