石垣島の桟橋が一本だった頃

ルービー食堂の主人から戦前の、南方貿易の話をあれこれ聞いたものだ。それなりに時代をおってたずねつもりだが、その回想はいつもとりとめなかった。

いずれ目の前で年表でも広げて、聞き書きをノートにとろう。
と思ってるうちに、店に顔を出さなくなった。
島を行き来して間が空いたら、リビングの手押しのワゴンに寄りかかって現れた。

きのうもそうして、壁の複製写真の仔細をした。口は達者で、まだ死ぬきはないらしい。