自由を閉ざすもの、絆というコトバ。

両端であれまた別個の端と端てあれ、そのふたつが解消可能なように関係する。その構造を、連絡されたと言い表すこともよいだろう。まずは「触れる」だろう。ベント・ヒッチ・ノット……この国の語彙は、息も絶えだえだ。ペンが毎日新聞から出ていた頃ならばと比べられない。

蔓延する消費カタログ以外に生き残る道もないと、梯子を外された発行人が思うのも無理ない。あるいはそのときに、人も志も離れたか。新聞社には週刊誌どまり。ヤンソンさんの手近な文庫二冊の短篇と島の暮らしについて書かれたハードカバーを、読了したかしないか積ん読の下層を発掘する必要がある。

その最新号のムーミンではなく巻頭とびらといって、広告を除くがスニーカーの勿体ぶった写真に結んだ紐の結び目がない。
結んだ紐の結び目がない……、この言い方の間違いのようなさまに一言も触れないでページが成立している21世紀ただいま2015年のありように驚いていないふりしてるのか? 靴もコンビニ雑誌も。


写真説明に到達しなかった。バンダナでおにぎりを二結びについて、以下紙。