葛籠を背負った遠来の門つけ

那覇にとっくり棉を探して徘徊していると、連写設定になっていたスマホが覚えのない路面をとらえている。
連続柄のレンガ敷きは見栄えがしそうだが、自転車の乗り心地はよくない。舗道は誰のためのものか。 ひと昔前はこうしたレンガの六倍相当の、コンクリート製の敷石がここにもあったろう。
歩道敷設の養生は相応になされたが、やがて敷石は波打つ。

敷石の一枚単位が小さければ、補修の単位も小さくおこなえるだろうか? 日本中の地べたを覆ったあの四角い敷石は、砕かれて生コンの中に埋没したか。
列島改造の槌音は、実はひと時も止んだことがない。

何か白いものが描きだした白いシルエットは、脚つきのつづらを背負っている。中には神仏が収まっているのだが、「三丁目の夕日」にも登場してない。高度成長期にはすでに、姿を消していたからだ。四角い敷石はその後さらに、四半世紀延命したのだった。