河瀬直美と合歓木

ギンネムと呼んで嫌われる雑木は太平洋を奪還ようとアメリカ軍が、島々にその種子を空中散布したことに始まる──と言う人がいるが、真偽のほどは確かめてみなければ分からない。。

南の島での私のハンモックは先島群島八つの島に、漂着した流木にしつらえることから始まった。石垣島西表島・与那国・黒島・小浜島波照間島竹富島・パナリに、まださ迷っていない浜はないだろう。それは渥美半島おもて浜を、二〇年拾って歩いた後のことだった。

浜に生えたモクマオウや立ち枯れた○○○の枝を伐ってみると、中に驚くほど樹脂に守られたものを見つけることがある。それらはいくぶん扱いにくいハンモックになって好事家に買われていったり、再び手編みを解かれて海に返ったりした。

ギンネムをハンモックの張り棒に用いたことはなかったのは脇芽の痕跡の始末に手間がかかるからだが、思い立って一抱えも小枝を苅ってきた。まず名目からの思いつき「合歓木のハンモック」はどうだろう? 同類名言われないが、あかちゃんは「寝たきり」で老人と双壁のはずだ。寝返りを覚える前の、児の背後に手を差し入れてみれば判る。この名の思いつきがアイテムをひとつ増やすことになったのだ。

手伝ってくれる編み手を育てたから可能になることだが、ついでにお土産も作ることにした。お人形が寝るサイズだか、こびと用だと言っている。つまり形だけ模したおもちゃではなく、お人形サイズのヒトがもし存在したらその実用に耐える──と言いたいのだ。つまりは作る手間は同じだけかかっている。

その張り棒は鉛筆大、太さはそれよりやや太い。お土産なら1500円──とても合わないが、名刺代わりと思うことにしる。この切れ端が、生涯最初のツエになった。(T-T)


相当な細身、蔓が巻き上ったスパイラル痕が華奢。キャスティングがよくない。窓を一つ二つと数える訳でなし、生死にもうひとつのゲートがあるというのだから。河瀬直美にしてこれ。人の創造的な輝きは誠に束の間。なんぴとの過ぎたる日も帰らないのだ。