小倉トーストと映画

リトルボーイ、太平洋戦線に出征した父の誤戦死報を受けた息子の話。君の名は、中学生にはもったいない古くさいタイトルのラブコメレッドタートルある島の物語、黒ポツなだけの瞳の人が三人だけ登場する声のないアニメーション。

島を離れた一週間に小倉トーストを三度食べて、三度映画館に通った。日本兵との遭遇が異文化との衝突でもあってみれば庶民のそれが偏見に満ちみちたものであるのはなぜかホッとするほど、観るものの心を広くするような気がする。
(印象を素直に書こうとしたら、こんなヘンな言い回しになった)。

架空の名前が与えられているが土地は飛騨古川だと聞いて、台詞語尾に岡田稔くんを思い出した。背景への執拗な観察眼は、のっぺりした少女漫画キャラクターに対する逃避行為と一組のものだと思いました。
固有の地域性とトウキョーと飛騨古川の今の平板な共通性も、現代のものだと思いました。

映画館団地だから切符を買いに朝イチに並びましたが入ってみれば、スクリーンのレッドタートルの前に座っているひとは僅か。車椅子空間の直後が前の方好みには良くて、最善はこのセンター3席。

このまた中心を開幕直前に入りながら、占めたいきさつをひとくさり。センター3席の片端に、ペットボトルを手にした大デブ35かな?
切符購入時にその3席の片端に人が居るのを窓口で見て反対側の端を、すらりとしたお姉さん45が占めた。

9時55開演10分遅れでセンターに、空きがその間にあるのを見て中デブが割り込む。単身鑑賞者で前部センター席は、こうしてうまった。三人が館内が明るくなるまで席を経たなかったのは、隣席の面子を互いにたしかめたかったからではないだろーか?

映画内容にも触れておこう、「我が恋せし乙女」のように観てから買う、私にとって数少ない映画だった。
事故といってもよい些細だが修復できない過ちを再構築するのは母性である──無言劇。

移ろいながら時間は流れてていってしまうが、終わりが来たときはこれが終わりだと判るものだ──。物語りに終わりを、かく用意したいものだ、と。