賊と新年

 改めてサネモリ。もう少し老成した風貌にして、お供と際立たせよう。木曽馬のいる開田高原(長野)で、このワラ細工を教えてもらったことがある。人物の構造も大差ない、手に入れて一○日も経ったが、解体してみるのはどうも気が進まない。
 さて昨年は七月某日このご一行は虫送りで廻間の村中をまわった後、村境の八幡社に留っていたところ賊の手に落ちた。昨年の大晦日も日の落ちた宵のことである。

 そのまま床につくこともなく午前零時の鐘を聞いて、ひとり初詣に出かけた。昨年はもろもろ揃って暗いなか出かけたが、今年はもう一人だ。これを私は墓参りと位置づけている。もっともらしい経や坊主に会わずにすんで、いっそ気持ちがいい。
 村の郷社だがこの日はさすがに、夜半から賑やかだ。ショウシチリキはないがフエにタイコの鳴りモノがある。最前列はドンドコと太いバチでなくテンテケという細いバチのもので、中央はあぐらをかいたショートパンツの女の子だ。掛け声を掛ける酔っ払いがいるといいんだけど残念。
 参拝の行列ができている。どいつもこいつもお行儀がいいね。

 火の粉を盛大に巻きあげている火を、囲む人混みがある。火を心配する人はいそうにない。隣接した小学校は私の母校だ。フクロウの棲んでるウロもあったりして、ここは薄暗い森のようだった。
 この二○年というもの、亡父がひとり枝ウチにあたってきたと、死んではじめて知った。これに報いて亡父はこの社に合祀されることになった。
 地元の郷土誌によれば、こうした市井の者をまつる神社は多くないという。ナンダカ知ナイガ、イサムノミコトなる札のある小さな拝所に出向くのを、寝ずの新年に科すに至った私である。

行列に加わらず進むと