「沖縄漫画」

最近「沖縄女性学」などと称される催しの、報道に接した。なんでもそれは、ホンドで言う女性学に沖縄の民俗学という地域性をミックスしたようなものだと出席者が発言していた。海を越えて招かれた参加者が開催地に敬意を表して言ったことだが、インテリゲンチャの差し障りない言い方を私はよしとしない。
ナンバーワンでなくオンリーワンという流行歌があったようだが、自分だけの特殊性を歌ったものであるはずはない。誰となく他者の『一般的特殊性』視点から、謳われたものであることが眼目だ。歌の作者は同意してくれるだろう。彼のセクシャルな傾向は一般的特殊性をそなえたものだが、なにほどのものでない。
沖縄を語る時もかくありたい。

美童(みやらび)物語の美はわらべについた接頭語ではないかと思うのだが、その第一巻を昨年波照間に流木を拾いに行った折り持参した。投宿先で多摩だか武蔵野美だかで美術を学んで、今は硝子工房で働いている女性に会った。ゆんたくスペースでよく呑み朝になると掃除機をガーガーかけて、シュノーケルとヒレを持って海に出かけていくコだった。
ゆんたくでは宿のあるじと何々島の誰それさんと呑んだなどと話し島々をまわっている様子だったので、その第一巻をどこかに置いてくるように託したのだった。事後報告はなかったが、次は八丈島だかその先島だと葉書きをもらった。増刷の望めないン万冊のうちの一冊が、どこかの離島の宿で読みつがれている様を想像する。

それは飛行機で持ち込んだものだったが、写真の第二巻は石垣島で買ったものだ。ま、漫画を描いてきた昭和二四年組の端くれが想像してみるに、単行本直前にその書き下ろしの断片だけを刊行予告として雑誌掲載する程度の扱いの「美童物語」が、同島内に五冊配本されたとみた。
試しに支払い時にきいてみると、ちょっと待ってくださいなどと気安く言って八冊と答えて私を喜ばせてくれた。これを石垣島の人口比で割れば、私の気持ちがお分かりになるだろう。もっとも追加納本はない。追加発注に応じられる在庫を、版元は持っていないのだ。

書籍売上げの大分を占めこれほど盛んな漫画界の間口は広いように思われているが、奥行きは貧しい。ひとたび持ち帰った第二巻は飛行機で一往復して、離島のどこかに置かれることになる。

おそらくは船便で石垣に運ばれた美童物語は10冊であったかもしれない。そのうちのニ冊は寄贈本であったかもしれない。寄贈先は配本先に一任……こんな段取りになっているかどうか知らない。