隻の会(仮称)

小三の息子が初めて眼鏡をかけ、バッティングセンターに行ったら、人が変わったようにいい当たりを連発した。「球をよく見て」「バットは短く」なんて素人の知ったかぶりよりも、まずは眼鏡が必要だったのだ。
近視など目が悪いことは不便だが、不幸なことではない。眼鏡をかければすむからだ。「障害」も同じで、不便さを道具やほかの誰かが補ってくれればすむ。何ができて、できないか、どんな支援が必要か、その「個性」は千差万別だ。
右ひじから先がない高校生ボクサー、嘉数翔太君(16)=沖縄尚学高1年=が、日本アマチュアボクシング連盟から公式戦出場に待ったをかけられている。
理由は「格闘技であり、危険を伴う」からで、安全面への配慮という。「両腕があることが前提」なので、規則には書いてないけど認められない、とも。
無謀な挑戦ではない。ボクシングを始めて2年。強烈なパンチを浴び、KOされないための技術と肉体を作り続けてきた。家族もジム仲間も認めているのに、一見優しい「配慮」が嘉数君を苦しめている。
記事(二日付社会面)には「隻腕」とあるが、写真と本紙ウェブ動画では、素早く攻守に動く少し短い個性的な右腕を見ることができる。目標の全国高校チャンピオンを、いつかその腕でつかみ取ってほしい。 (沖縄タイムス09/7・3 一面「大弦小弦」)


隻の会とは片目、片足、片パイ、片肺(これは見てもわからん)などハンデをものともせず、そればかりか@@な人々の@@を目的としたもの。Hに提案する。
小児癌で片目で育ったHが長じて成人レベルの形成手術を受けるにあたって、デザインプランを試みたことがあった。本当なら見えない義眼を精巧に取り付けるなんて、およそ主体的でない。むしろチカチカ青く点滅したり、ハート型にフォルムを変えたりする瞳がいいんじゃないか……。時計仕掛けのオレンジの未来にはまだ、間のある頃のこと。
松葉杖をファッションにする時代、義眼はどんな扱いを受けているだろうと思ったまでだ。まだ僕も若かった。障害を個性などと言い換えるふやけた時代を、突き抜けたアプローチを心待ちにしている。



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