合縁奇縁

平田弘史、臣新蔵の流れだという印象の新里堅進を石垣にきて初めて知った。
真喜志康忠の沖縄大衆演劇の漫画化は、琉球新報連載後1998年から単行本化されたようだが、どこまでなされたかまだしらない。石垣の独立系のレンタルビデオ屋は一つ消えて残る一軒のビデオ棚の残る一段も100円で処分ときいて、引き取る。
私にとっての沖縄芝居はすでにメモしたように、鉄斑がチーターみたいで可愛いヤチムンの土瓶を探してはじまったが、この絵、土瓶で「クワーン」はないだろう。
 
そう思うのだが男のアタマが妬かんのようなら、これでよいかと思い直した。
 
琉球新報の漫画化シリーズはその後、大城立裕の琉球処分になっている。
 
最近彼が琉球処分の前に「小説」という冠詞を付け忘れないでくれと言っていたが、それにもうひとつ「漫画」を冠するオリジナリティはない……とは思わない。
絵解きはそれ自体に、固有の解釈が必要だからだ。漫画評論をものする連中は、そんなところがイマイチ。
カムイ伝で歴史を講ずる女史はお分かりの様子。