油松を焼く

迎え火を焚く松の根が、百年分もとってある憂鬱。
その始末は言うまでもなく焼却することだが、この無目的性がボクの心を沈ませるのだ。

何代か続いた家を終わるとき、こんな気持ちになるものか。亡父が毎年、割り箸ほどに刻んで先だった子や孫を迎えてきたのも、もう遠い日のことに思える。