軽い土産
ガイドはメインストリートに可愛いオフィスを持っていて、船内で小笠原について話をしたら片道だけで船を降りてしまった。
彼にはここまでが、往復だったのだ。
私の土産は手軽。200000分の1の地図。島のそれはお得感がありません、海ばっかりだもの……。
小笠原諸島の全体図19000000分の1をみると母島のほうが遠いようだが、そちらを一回りしてから父島に上陸した。
ガイドのオフィスには、「ボニンブルーシマ」という可愛い看板が掛かっていた。
レモングラス水を飲んで港に戻るど救急車が来ていて、横たわった人の胸を僅かのあいだ押す人影があった。
遠巻きにしたリゾート客の挙動を、つい見てしまった。
ふいに浮かんだ光景がある。もう三〇年も前、中部山岳地帯のスキー場に計 150種ものステッカーを作って、売り歩いてしのいでいた。
オフにはバイクで廻っていて、あれはたしか奥志賀スーパー林道で輪禍に遭った猿に出くわした。
猿はすでにこと切れているらしく、仲間の多くがこうべを垂れて静かに取り囲んでいる。
私のオートバイは今ではもう見かけられない23インチのフロントタイヤのトレールバイクだったから、林道からさらに彼等を迂回して山道に分け入ったのだった。
彼等のセレモニーの邪魔をするのが、はばかられたのだ。
それに引き換え……、はるか離島の波止場にて猿に悖ると。
ガイドがいなくなって一人になった部屋に入った、ルームサービスを驚かせたろう。3ミリローが2400メートル、12ミリの太ロープは240メートル。あったのだから。