田に水が届いたから

田に水が届いたから窮屈そうに犇めいて育ってきた苗を、広い水田に解放してやった。

犇めく、ひしめくのはウシであったのね。日本の牛舎が、狭いというわけでない。
広々と山裾に三々五々生きる牛が、時に肩寄せあって群れるのである。

水張りなった田の隅で箱苗が肩寄せあうころ、日は傾いて五月最後の日曜は暮れた。

「はりみず」
石垣のわずかな繁華街を外れまで歩いてくると、見馴れた町並みに初見の袖看板を読む。
この看板のことは突き出しだと思ってきたが、付き出しでもよい……。
窮屈な扉が看板のしたにはあって、どう見ても七〇過ぎの割烹前掛けの女が箒を持って出てきた。

さて看板であるが「恋のはりみず」なんて、どこからが屋号かわからないと思ったところで目があったので、あれはと指を指して訊いてしまった。
「暗くなったらまたいらっしゃい」教えてあげるから……。

この島に通って何年かたつが、潜ったこともなければ釣りをしたこともないし、こうした夜の店に出入りしたこともなかったが。続く、かも。