建て前

たてまえは本音とセットで使われた、「新しい時代」に登場した哲学とは呼ばない哲学のキーワード。

言うまでなく建て前は棟上げ式からからきているが、建て前の何がホンネと対語になるのか?

骨組みと雨露をしのぐ屋根はあるが、まだ壁も床もない……。 それで?

イエのどこがホンネになぞらえられるのか、いまいち分からない。言い出したあの人、ほら何て言ったかな。しばらくぶりに思いだそうとして、思いつかない。
いんたなんかを開くのは、やめておく。


立ちションの大人式、子ども式……なんてのもあったな。
出どころも顧みられず、言葉は一般名詞化する。

タテマエは看板建築で裏に回ってみると、映画のセットのように一面的である……が、命名意図であった。

ほんものの建て前はそんなものじゃなく、基礎を固めてどっしりと柱を打ち立て棟を挙げる。

これから屋根を葺いて壁をつけて、床をひいたら建具が入る「イエのホンネ」に至る偽りのないプロセス上にある。

この島に来るまで、こうした建て前のディスプレーを知らなかった。
大げさな矢じりと二またのさきが対になっている弓矢を左右に掲げて、旗頭のある吹き流し。白保で以前に報告したときは、もう少しデコラティブだった。

ここは港の賑やかな都市部、電線が五線譜のように場の高揚感を演出している。木遣りを南風が運んでゆくだろう。