記念樹

東シナ海をのぞむ可愛らしい棚田七反に「南洋」らしい名前をつけなければいけないね、チコエン(知光院)・まっさにし・東で・中島……かつてのわが家の水田の屋号のごとき呼び名を復唱してみた。 父の代、最終局面の持ち田はちょうど七反だったから、面積だけは復調させたと氏神の仲間(別項)になったイサムに報告が可能だ。
やや紆余曲折もあった水田購入計画であったが、いよいよ契約交渉に入った記念樹がこれ。

初めて事情視察のおりに第一にお話を伺った隣地耕作者に畦道で再会してその旨を報告した、氏は先の雨で傷んだ土手の補修中だった。

まだ足首丈の苗は健気に、ほぼ圃場に根付いて問題なし。

それよりイノシンの右往左往する痕跡が、不謹慎だが笑えてしまう。

猪突……と苗を蹴散らしたものと言うより、とぼとぼと空腹にたえて進路を三転させたものだ。

脇に留まった補習用の予備苗を一握りいただいて、下段の耕作放棄地に株だちから出穂したひともとを引き抜いて両手に提げて帰った。

焼き鳥屋の八百屋(説明も必要だ)の平良さんの畑の小屋に無断で寄って、棄てられた長靴の孔の空いてない方を確かめて植え付けた。

「歩く記念樹」、どうでしょう?