ご免なさいの伝承

私の持ち札のひとつに、「割れ皿パズル」というものあり。苦肉のものではあるが、窮したときに見出だした。
島へ発つ前に今度は郵パックで、送り出してみた。最大安値、扱い丁寧応対慇懃。
三辺計170センチ重量かくかく迄とか制限多いが、それを守れば融通利かないぶん堅い。

クロネコなぞにさんど破損卸価伝票を持たせてやったら、××リストに入ったようで「割れても請求しない」と添え書きしろと言われる厄介者にされてしまった。

クーラーを利かせたギャラリーで受け取った荷七つを紐解けば、クロネコよりも佐川よりも荷の破損が少なかった。
ゼロではないがこの程度なら、被害請求はしない。本当に大事な作品は、抱いて飛行機に乗って島に通っている。

そんな手中のものを壊された話をしなければならないが、明日に明後日にと気の重い話を先送りしている。御巣鷹山の慰霊祭が、今年も、忘れずに報じられる季節になった(あの日、私は渥美半島突端の伊良湖国民休暇村で体験学習のやる気のない高校生に、投げる舫い=もやいの先に錘としてしつらえる結び=モンキーズ・フィストを教えていた)。私の日航物語も、いつまでもこのままにしておけない……。

写真右は稲葉安信の茜粉引き(という一般名称はない)、使えそうな片口。重ねた緩衝材の養生がテキトーだったから、とおのうち二つ割れていた。
パランでなくグシャリというパーツの多い割れたかだか、二つともちょいと無理な接ぎ方をしてみた。

遠目なら全体の感じが伝わるし、ふつう白い白土に混ぜた朱の色見本としてなら完品である必要はない。
作家ものでも日常食器ならこうして複数ならべて見せると、お求めになる方もその器を普段遣いしているイメージをふくらませやすいものだ。


写真左が稲葉が連れていってくれた初見、猪飼護氏のよく擦られた自然釉の筒湯呑み。
フリーカップと伝票記載されていたような覚えだが、彼のこれは筒湯呑みと呼ぶことにする。

丈夫そうで形も堅固なこんなものが、たとえ一つでも割れたのは腑に落ちない。
きっと同じ丈夫なもの同士の、当たり所が悪かった。とつぜん訪ねたので六つしかなかった、 五つになってしまった。伝えはないが割れなくても猪飼には次の窯で、ささやかだがもう少しまどめて頼むつもりではあった。


写真説明が続きます。

猪飼の割れた湯呑みは接合復元させないで、パーツをならべてある。その前に割れた辺を、布ペーパーで丁寧に丸めておいた。
撮影に配置したパーツの中に粉々が見えるが、これは諦めたがその左の一粒。これがミソ。

眼を画いて龍の絵が完成するように、掌(たなごころ)の中で取り換え引き替え思案してカリソメに復元なった湯呑みに、その一粒を差し入れると……。
パズルは完成するのだ。


これが私の、割れたる器のコレクションの方法だ。また、世に問うたことはない。「割れ皿パズル」と名付けている。 次稿で、コレクションの一部をご覧に入れます。


次稿のように多くは平面的な皿だが中には猪飼の湯呑みのような立体的ものだと、 あまりパーツ(パズルの場合はピースと言っていますね)を多くできない。
平たく置いて思案できませんからね。
この島に来るでもない冬が来る前に、開きます。
この企画が日航とどんなつながりがあるかは、その時に明らかになります。(この稿、ここまで)。