神々の深き欲望

沖山秀子はアタマの病いだとお噂だったが、若い成長期をやり過ごすと落ち着きを取り戻す。ひょっとしたらそんな後半が、彼女の一生に待っていたならよいのだけれど。

島の図書館勤めがプライベートにダビングしていた映画が、私のところに回ってきた。映画というものは原作者の美味しい所だけつまみ食いしたり、被写体の都合よい視点からだけをつなぎ合わせる狡辛さを宿命的に持っている。

ムービーという話法がいつまでたっても世界を描けないのは、その不誠実さが理由だと言いたい。日活の商売路線からの要望に応えなければ、そもそもこの映画は存在しない。

アカマタ・クロマタが可視化した映画。その神々は文献や不鮮明な写真から想像していたより、おそろしくチャーミングな一挙手一投足で嬉しくなりマシタ。