B17の碑

これを忘れてしまうから、メモしておく。ただ長いだけの棒を武器に峠まで追い詰め、これで突いて生え抜きの豪族を谷に落とした征服者。島々にも群雄割拠した戦国時代のいざこざは、珍しくもない。市井の大多数から外れた権力欲に駆られた狂人たちだけが、歴史と呼ばれるその陰に膨大なヒトの暮らしがある。

そこにひっそりとボーイングB17墜落の、プレートを見つけた。レンタカーでまわれるほどになったら、再訪のために。
ホノルル空港からワイキキまでのコース事情か、峠戦跡・軍人墓地で宇宙飛行士オニヅカの墓標・水産高校練習船と原潜事故遭難碑を巡礼のように始まった旅。

道中は街に入って車窓ちらりと、中華街を横切ったことを見逃さない。それから長々あっち曲がりこっち分かれ、ワイキキビーチ至近のホテルまでのジグザグを脳裏に反復。

知らない町ですること。ガイドブック読まない地図見ない人に訊かない(きけない)、風景を読んでひたすら歩く。中華街は那覇国際通り南辺に広がる大きなアジアン・マーケットに驚いた私を、たじろがせるサイズだった。

二時間歩いて二時間徘徊して、二時間歩いて戻ったが二時間で目が覚めた。これが時差ボケか?中国人が海パンいっちょに裸足で、ホテルとビーチを往復している。私も裸足でゴム草履を買いに出た、足の裏全体が水脹れになってしまったから。