旅をした山ノ神

個人墓標四柱と一緒に海を越えたものに、この山ノ神碑がある。南島異例の寒波をやり過ごして、梱包をほどいた。これは「マッサ西」の、田の脇に座した山ノ神だろう。市会の土建族にやがて成り上がった高柳某に飯場を兼ねた社屋建造に田を切り売りした際、行き場をなくしたこれを本宅東北角に引き取ったもの。

すでに本宅もなく倉庫「赤テント」に、ながながしまっておいたもの。陸路鹿児島まで、海路那覇‐石垣へ。「結びのミュージアム」に縁結びの意図は全くないが、早々にお尋ねがある。真実の恋人結び……なんて言ってる手前、どうしたものか。