3ツ撚りロープ

オキナワで美味しい米が採れると思わないが、藁は本土よりずっと良い位置を占めている。稲作の伝来プロセスが永々と、その残り香を今日まで留めているような気がします。
運動会の定番プログラムに「縄ない競争」があったり、祭のメイエベントが綱曳きだというように。

読売・朝日・毎日言うに及ばず亜熱帯の南の島の地元紙も例外なく、気になっているのが「綯う」というコトバ。綱曳きのナワは藁製で毎年、町内総出で「編む」──この「編む」はなんとかならないか。どんなコトバもその言葉が表わそうとする対象が衰退するとともに、紙面から消えていく……。現場の記者は若くてもデスクや整理部の面担当者は、まだ「綯う」を使えるはずだ。

編むとナワ作りの二語で、テレビも新聞も縄ない作業を片づけている。私の結びの復権アプローチ、は3ツ撚りロープを用いることをに大切にしている。この守らなければならない方向性を持ったロープの特性は、弱点として語られることが多かった、そうではない。こう言いたくて、夢中で過ぎた二年を宝物のように感じている。

造形的にそれは、こんなに多様な可能性を秘めている──。この冗漫な靴紐のリポートをそう読んでくださる方々にごく稀にお会いできて、私は幸運だ。私の仕事場が南の島にあって、そこが思いのほか国際的なことが幸いした。

写真は例によって異色の取り合わせを解体して左右黒に戻した00091と00092の片方づつで組み直して、ダッシュ化した。トリッペン付属の革紐を三本撚り合わせて、結んだ。

いや、どこにも結んだ形跡はない。そもそも結びは「閂/カンヌキ」のような構造的にゆるぎのない固定決構造は稀で、絞まりと摩擦面積の大小で信頼の度合いが決まるアイマイなものだ。以下紙。

トリッペンの革紐の端始末のためによく観察してみると(写真)、中断。