白くて花芯は黄色く、中心に向けて羽虫を誘う。
中年のおじさんとは幹の形状が違うものもあるが、それでとっくりキワタの範疇からもれようというものだ。市役所脇の並木は名の通りでまだ若いだけだ、腹が出てないのは──。
ここの話でなく、某緑地のわずか数本の徳利キワタこそ中年で、実ができないのが不思議だった。それが初めて花をつけた様に、目を疑う。淡いツツジほどのピンクの花が常だが、ここのは異色。
プルメリアの中でいちばんプレーンなものと、色彩設計がおなじなのだった。花はいつつむつっつあって、さらに幾つか蕾か控えている。
ここのタネから、苗を育てるのが楽しみになる。大きなパンヤ(ソフトボール大)、小さなパンヤを実らせる並木、それからここの白花とっくりキワタ。
モモクリ三年カキ八年、ふつうなら木は電信柱くらい育つのに八年から一〇年かかると見るべきだろう。私の持ち時間の残量は、いかばかりであろー?
もう一つ開花結実を心待ちにしている徳利棉があった、それは島でいちばんの樹で年中ほぼ裸木と言ってよい。巨大な裸身は枯渇してはいない、繁茂のスイッチを押す気温急落のタイミングを待っている──のではないか? そのもう一つの某々処を訪ねるたびに、抱く感想である。
次期収穫まで競合者を育てないが三種のタネを得た来春には、とっくりキワタのパンヤから紡ぐメッセージを出そうと、ミショウの苗を育てながらひそかに時を待っている。