「宮良長久さんは……」

ひとまずの住家マンション花水木からの、最短コースが三日目にして分かった。なんのことはない、日航ホテルを背にまっすぐ降っていくだけだった。側溝に注意を向けてみると、うねうねと太くなったり狭まったりしながら勾配のもっともきつい方向が海への進路だ。そのあいだまわりみちを繰り返して、最短路をさがしてきた……わけでもないが。壁にかけるなら、日々徘徊だ。

目指すは港の、たとえば喫茶・海坊主。その先の埋立地の小屋掛けの看板屋。ここでハンモックの仕上げ作業をしています。片道五〇〇円でつりは結構ですだったが、それ以来は徒歩。
下って海の周回路の賑やかな辻に出ようという路地に、工房、民謡教室に美容院という組合せの小さなビルがあった。工房の壁面にはもうしばらく触ってないという鑿、鉋の類が並んでいる。鑿鉋……、その字のつらさえ懐かしい。建具かと聞けば指物だと答える主は、隣接の民謡では食えないからとも。建具屋に指物師、屋と師。仕事もないからと切り株を磨いていた人。また邪魔しに行こう。美容院だけが繁盛だ。
私はサンシンではなく、この島の木について今日の続きを伺いたい。職人一般の事情についても、チンケな以来を土産に根掘り葉掘り。