ジラード三等兵事件

ラジオ深夜便が終ると、今日は何の日。「音の風景」ほどの趣向はないが、ぼんやり半分聞き逃して時をやり過ごすというか新しい朝を迎えるのがまだ残り時間の少なくないアラカンの愉しさかも知れない。
の、例にもれず主語を聞き逃したが、ジラードなる現場男が市民を撃ち殺したのが今日だとラジオは言うのだ。それが事件たりうるのは、おそらく戦時下にないからだろうと想像する。
3%の国土に七割の基地の島に縁が生まれたからでない、カクテル・パーティー(大城立裕)を読んだ高校生のころから同じ感想を持ってきた。人殺しが仕事の作業集団と共存できる市民社会は、町であれ田舎であれこの世に存在しない。
ベトナムから往復するたびに真っ当な市民生活を営んだり、人殺しになったりしろと言う方が無理だ。進駐軍のいる飛行場の側で生まれた。生まれたときからヤンキーがいた。話が通じないと思ったら、暴走族。

65年前に日本人は一人残らず、もう二度と戦争はやめると固く思ったのではなかったか。こんなことが僅か65年「伝承」できもしないで、どんな文化もこの国に積みあげられはすまい。

古い映画を古いビデオでみる。ゲーリー・クーパーが馬が曳く犂(スキ)を押している。劇中、水の貧しい「高い土地」を耕す彼が「低い土地」を苦労して手に入れる話のようだ。この世代に届けられるだろうか。

異界の覗く裂け目で生じた不平等な悲劇を先日の例えば轢き逃げや道にロープを張ったいたづらなどという今から過去に向かって列挙する年表を、私の(!)島への贈り物にしようと思う。
沖縄県立美術・博物館そばの法華(こりゃ?)ホテルを定宿にして国際通り裏裏(津々浦々)の市場探索中、理想科学のオフィスを見つけておいた。ここからフェリーで運ぶことになる。
展示会場にて、新型はジェットプリンターで原紙(この名称が通じたか?)を使わないようだ。YMCBのカラー・リソグラフだという新聞広告をみて出かけたが、これじゃリソグラフじゃないよと言われて張り付いてくれた営業マンを困らせた。
不戦さえ伝承できない国のいち企業だもの。新型はやめて従来機の単色掛け合わせカラー「線数」を出力じゃなく刷りだせてみると、最荒70線。いいぞー、これで掛け合わせた写真をここで刷って見せてくれとはたのまなかった。印刷システムまでを表現と位置づけている。

忘れたい過去だろう。馬鹿なやつ。何が尊い財産であるかを知らない。

配達できない付箋つきで返送されるものに、「これは旧地名ですから配達不能」がある。いっせんごりんで届けたのは徴兵宣告ばかりでない。例えば大陸で行方知れずの家族を、小さな紙が時には繋ぎもした。あめかぜから懐に庇って届けた先輩達が蓄積したなかで、言うまでもない第一情報である旧地名をおろそかにする愚。以上、別項メモ。