29個口船便

曲げわっぱは秋田から直送されてきたが、別に自分で送り出して自分で荷受けした。

別料金も必要だったが額面200万円と書いたからには、荷をほどいて確かめねばならない。

思ったより割れてないが、まあ10個ていど。
扱ってきたのは生活雑器だから、破損弁済といってもしれている。
島では担当者も限られたもの、まだ運んでくるのはこんなもんじゃない、きちんと始末をつけて今後の道筋をつけておかなくてはならない。

1995年5月23日の新聞に包まれた器あり。41歳の女社長の青い目の人形譚。そのころ私もほぼその年格好だった。同業者といってよい彼女をしらないが、おしどり越冬で地元じゃ知られた田峯の資料館だか小学校に、こうした青い目の人形と市松人形のコレクションを訪ねたことがあった。


答礼人形というのは記者の造語ではないようだ。ミス台湾……、エイワークス、赤崎まき子女史。

昭和62年に再開されたというシドニーギューリック三世、棚橋昌子教授……。

「人形たちの愛は海をこえて」、こそばゆい。