ところてん

斉藤たまがワラジとゾウリの混同をなげくが、編むと綯うの不分離が私は気になる。ボキャブラリーは言わんとする対象物が遠ざかることに比例する、無理もない。

島には驚いたことに縄綯(な)い競争なる運動会プログラムがそんざいするが、余所者のローカル紙記者は「縄を編む」なんて記事をかいている。チェックする整理部も校閲も、あろうはずがない。

さて昼過ぎにコンビニに190円でならぶ読売が、写真(盗撮に類する)。一面帯コラムも活字拡大で15段組が葬られてから、読売では妙なカコミになった。

一面帯コラムは肩の凝らないもう一つの社説……といった趣を、これでは保てない。稲は吠えない。良寛が言ったとしたら、それは例外だ。稲・籾・米・玄米・白米……、その生産現場に近しくいた者なら、先ずもって「稲の実」などは言わない。

良寛は泥田を這ったことなど、あるまい。朱を入れる整理部もまた、はや世代がわりをしたと思うことにした。