アンド・バック

戦中派の前衛は大正生まれだったとイメージできる者は、彼らが復員して子を成したベビーブーマー。隔世で戦争体験を伝承できた孫もはや、四十路。或者は、死んだ児の歳を数えたのである。

子である私も孫である子にも、彼はふんどし一丁の姿を見せておいてくれた。その度に父は祖父は、「――褌とあてことは向こうから外れる」と言ったものだ。

アテコトとは、期待したものごとほどの意味だ。何であれ、相手のある話なのだと。しかし褌が向こうから外れるとは、得心がいかなかった。向こうからじゃなく、こっちから外れるんじゃない?

どんな構造であれ褌に横珍はつきものだが、普段穿きは越中ふんどしだったから後ろから前にもってきて垂らすから背後から外れるわけがない。

向こうから外れる期待のように尻の立てみつのひと結びが緩むのに、目が届かない六尺褌だった。それで泳いだようだが、私たちの知らない若い頃のことだった。

連想するのがやはり男色の男たちの写真集では、六尺褌が普通の暮らしのなかに甦らない。もうひとつ、幼少期の皇太子の赤ふんがある。独りの姿でなく多くない同級ね面々と海に浸かる、微笑ましい季節ネタ。

ジーンズ主流でゴロついてアウターにひびく六尺が可能なのは、それ自体が外穿きである海川を於いてない。パナリ製のふんどしは主に女性の暮らしのなかに紐とその結びの復権を主眼としたものだから、六尺から思いつくといえば「女相撲」くらいで一先ず置く以外にない。

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話はここから。ふんどしと連呼して気を回して、「T front」などとデザイン屋の悪い癖だと思う。なんにでも食いつける現代女性にふんどし連呼くらいで、気を回すことはない。始めからそう思ってはいたのだが……。

お尻の頬っぺと頬っぺの割れ目に食い込むふんどしの前後を代えて、「Tfront」としたものだ。この前後を戻して後ろで横紐に、一捻りネジ込むだけの装着の夜毎。T front & backというわけ だ。図解を準備中。