奈良井贄川宿へ、十曲峠落合宿へ。

1984年、白水社刊1500円の「峠」井出孫六。巡った証明にペナントに代わって地名だけのステッカーを、1500種類は作っただろう。その中のひとつで野麦峠のお助け小屋峰野茶屋から始めた「パス・ハンター・シリーズ」がある。200以上の峠を網羅したが、XL250で営業踏破(!)できたのは一〇に満たない。

中にちょっとした栞を封入していた。そのころ脇に置いた一冊を読み返して、馬籠で会った若い日の山田紫さんを思い出した。中央西線――と都内下駄履きの路線に過ぎない(と彼女は思っている)中央線を区別している……レールは続くよ♪なんて僕は言ったんじゃないかな。

中央西線(!)の贄川から勝川までの電車賃を、彼女に借りるほど若かった。COM 編集部が一方的に選んだ選抜メンバーで、「肉筆回覧誌」を作る。貴方もそのひとり、私は木曽路を旅する馬籠まで原稿持参せよ。誌題は「みの」というらしい。私のところには廻って来なかった。

井出孫六を再読して贄川から下り、落合から上り馬籠で会うのは東西の必然だとあの日の山田に言ってやりたい。2000円くらい借りたままになってしまった。