土台石

「かど」とは中庭こことだが、これをはさんで母屋の対面に建つ家が「こうえ」あるいは新家。日本中の多くの農家が、こう呼ばれる構造をしている。
復員してきた当家の長男である父・勇が隣市・小牧市小牧原の梅村氏から嫁(長女・喜代子)をもらって建てたもの。きよこのキは漢字の七を山形に三つ重ねた俗字が使われていた。
棟はそのまま東へ借家となって続いているが、該当部分だけ二階屋だ。この二階の棟木は全長で16メートル、二本の丸太をつないで出来ていた。売却を予定して隣家との堺に境界ブロックをいれて、面影はない。

さら地の戻すと、これだけ土台石が置いてあった。手近かな所なら「庄内川」だろうが、河原石はどれくらい遡ったら手に入るだろうか? 少し遠いが、木曾川に取りに行ったと考えるのが自然だろう。犬山あたりの広がった河川敷まで大八車を曳いていく若い父の姿を想像してみる。
さてこれをどう始末してやろうか。動機よりモノが先にある、こんなことをいつまで続けることになるのか。