やまざきたまよミルコのひかり

ナレーションのヤマザキタマヨさんがどういう方かしらないが、この映画の日本語版のナレーションは単なるナレーションではない。

目を閉じて、あるいは閉じられた目をおいて、耳だけで観る映画に作り替えてあるからだ。

それは本当に、作り替えると言ってよい作業だろう。

その取り組みはこの映画の主題に合致しているだけでなく、描かれたシーンそのものに彼女は勇気づけられただろう。

それはよく分かる、分かるが私は違う意見を持った。

あてにならない目を持った者は、他の誰かの目を当てにしなければならない矛盾の前で、妥協点を見出ださなければならないと。

まだ幼く世界との格闘を模索するスクリーン上のミルコは、この日本語版のアプローチに賛成してくれるだろうか?

明け方、海からの涼しい風に目を閉じて、ニライカナイをイメージしてはみるが手がかりは実はない。