キッチンにて、続。

右端に並べた陶片はすべて低火度の 無釉と思われたが裏返してみると、灰釉がわずかに残っているものがあった。

どれくらい波に洗われてきたか、思い及ばない。いや、島の小さな博物館を覗いた者なら、その時間が五〇〇年から六〇〇年ほどのものだと知るだろう。ケイトクチンではなく、ベトナムか。

4つ選びだした左から白磁小皿の内に、カマグソではない付着物がある。単なる豆皿ではなく、油皿なんかの芯立てか押さえの目的をもった突起物とも考えられる。次は小さな青磁片、鉢の縁の外側に15ミリほど間隔をあけて平行線を轆轤で筋つけして、間には連続模様を予想させる意匠が見られる。

高台が損傷の防波堤になったようなその底部内側に見える絵は、梅花とその莟のように思う。付着しているものは、焼成にあたって重ねて嘉麻詰めする際、挟んだヨリ土。したがって未使用の荷だろう。

南の島々の浜を散策して拾う無釉の陶片には、白い貝殻が混入してはいないか?という楽しみがある。
猿投丘陵に勃興した土ものの本場で長く仕事をしたので、渥美半島知多半島で見なれたそれの由来は土管と決まっていたので──。