柴田慶信商店の二代目、柴田昌正さん。

佐々木悌治さんは86才におなりでアーケードの体験工房には、ごく稀に顔をお出しになると留守を預かる××さんは言った。大館駅を降りてそんなことかもしれないと、思いながら歩いてきた。

体験工房までは歩いて三〇分くらいの距離で、雪のある季節ばかり三度訪ねたものだ。三度目には、氏の焼き印を借りて帰ってから三年たった。二段重ねの上を漆仕上げにするのに、これほど時間がかかった……。 

別人に依頼した漆仕事の末に手間を省こうと、借りておいた焼き印を押させてもらえまいか?などと、無理な申し出にニコニコ心安く応じて下さった。

それを返しに来たのだ。なんとか間に合って良かった。だか佐々木悌治作の曲げわっぱが作られることは、もうない。飯盒型にジェリービーンズのような、シルエットを後悔している。素直な小判型が、曲げものの理に叶っている。誰が見ても判ったことを、デザイン小僧のままだな俺は――と。

柴田慶信は1940年うまれだから、佐々木の一世代下で、その二代目昌正へと大館の曲げわっぱは続いている。柴田は無塗装の曲げわっぱを作る大館のもう一軒として、初めて来た時から知っている。

クリキュウの口上をデパートなどの催事企画で聞いたのが、大館の曲げわっぱに触った始まりだった。贄川奈良井辺りの木曽ひのきにもヒキモノでない器は多いが、杉材の柔軟さは格別だ。

散漫なメモになったが、帰りに柴田昌正さんに小判型の一段を30、二段重ねを30組頼んできた。納品は来年になると言うので、四月にならないようにと釘念を押した。二代目はごもっともと言った。

口頭で寸法と形を伝えただけなので、写真で示すことはできない。佐々木さんの大中小白木二段重ね、うち一段は漆仕上げのもの、柴田さんが来春に納めてくれる小判型の一段ものと、二段重ねのもの。

数はぜんぶ合わせても一〇〇に満たないが、その結び紐の多彩さを加えて質的に言って日本最大の曲げわっぱのコレクションがこの辺境に存在することになる。